| ないしょのお話E |
| 当店の生い立ち もともと当家のご先祖様は当地(鳥取県西部)で庄屋をしていたそうなのです。よくある話です。しかし当家の屋号が「元庄屋」であるところを見るとあながち,はったりでもないのかなとも思います。が、祖父の時代に一攫千金を夢見て中国大陸に行き、そこでクリーニング店を開店しました。祖父は背が小さかったため戦争での召集を受けず戦時中も商売を続けていたようです。クリーニング店といっても当時は和服の洗い張りや紋書き、風呂敷などの染めものを主な商売としていたようです。そこそこ順調で従業員も多くいたそうです。しかし、敗戦。祖父の夢はもろくも崩れ去り引揚者となってしまいました。大陸で築いた財産はすべて没収され命からがらの帰還でありました。 本国に帰ってからは食べるのに困って、貧しい食事をしながらそれでも製材所などにアルバイトに行き日々の暮らしを何とかしのぐ暗い毎日。。。これから何をしようかな??という日々をすごしたあと、やはり他にないなって言うことで父がふたたびクリーニング店を開業します。ものもない、金もない裸一貫からの立ち上がりには苦労したようです。 かごを背負っての配達から、自転車を買い、オートバイを買い、車に乗り換えて少しづつ商売を軌道に乗せてゆきました。そのころにはドライクリーニングの真似事として,たらいにガソリンを入れ洗濯板で洗う手法を用いていたそうです。今では考えられないことです(笑) そして父は結婚して私が生まれました。工場も二転、三転しながら現在の工場に落ち着きました。工場の中庭にこいのぼりのように沢山の洗い張りが張ってあったのを覚えています。 和服はもともとはひとつの反物でできています。その反物は裁断されて仕立てられるうちに小さなパーツに分けられるんですね。そしてつぎはぎが縫い合わされて着物になるわけです。その和服を洗うときにはまた仕立てを解いてばらばらのパーツに戻します。さらにパーツを縫い合わせてひとつの反物の形に戻すんですね。そして、長い反物を洗って、こいのぼりのように両端をはさんでつるします。反物の幅が狂わないように竹ひごのようなもの(これを伸子針といいます)で横にも張りを作ります。そうして乾燥させ、出来上がったものを仕立て直して和服に戻します。こういった一連の作業を洗い張りといいます。こんな反物のこいのぼりが何十本も張ってありました。そのころはまだまだ和服の需要が多かったのですね。雨が降ると取り込みに大変だったそうです。いまでも、反物の両端をはさむ洗濯ばさみのお化けのようなものや、竹ひごの針は当家には多く残っていて邪魔になっています。(笑) |
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